ぼくたちのリメイクを読んで 1

こんにちは!

7月からアニメ化放映が決定していて興味を持ったので『ぼくたちのリメイク』を読みました。 アツい展開と読みやすい文章にどんどん引き込まれて、読み始めて早々、最新8巻まで読みついてしまいました。 SHIROBAKOやNEWGAME、冴えカノなどなどクリエイターの仕事を扱った作品はいくつか見てきましたが、今作ほどクリエイターの内面に深く迫ったものはなかなかないのではないかなと思いました。 今回は、読後感のままに思ったことを書いてみようと思います。

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※以下は、軽度なネタバレと物語外の自分語を含みます。


大学進学から10年後、掴んでいたはずの進路、あり得たかもしれない自分の可能性、遠いクリエイター達の歩むそんな現実を目の当たりにした「橋場恭也」は深い後悔に直面します。10年前、憧れのクリエイターと同じ大芸大に進んでいたらどうなっていたんだろう。そんなことを考えていた恭也は、突如本当に10年前に遡ってしまい、大芸大へと進学するところから物語はスタートしていきます。

「あったら良いな」と思う未来に対して、大きな選択をひとつ取り出して、「あの時こっちを選んでおけばな~」なんていうことは良く思うことです。 自分語りになってしまいますが――私は物心つく前から音楽をやっていて、全国優勝なんかも何回かしていたり、いわゆるクリエイターとしては恵まれた育ちかたをしていたと言えると思っています。当然、「将来」を意識することも多かったですし、幼い頃は何の疑いもなく音楽を仕事をするんだと思っていました。しかし、だんだんと回りが見えてきて、それが「望まれてない」ことが分かってきて。物語の主人公ならこんな時、何か大きなきっかけがあって周囲を説得して、あるいは決別して自分の道を進んだりするんでしょうが。私はそんな「望まれていない」状況を跳ね返してまで自分の我を通すことが出来ず、流れのままに進学校に進んでそこそこ良い大学にいってそこそこの企業に就職して...そろそろ元の世界の「橋場」の歳にも近づいています。

そんなごく個人的な背景もあって、当時の一緒に音楽をやっていた人をみて、同世代のミュージシャンをみて、「音大に進んでおけばな~」とふと頭に浮かべてしまうことは日常茶飯事でした。 でもだからといって、単に「音大に進んでおけば」そんな存在になれたんでしょうか?この物語の書いているところはまさに「その先」なんだと思います。 「あったら良いな」と思う未来に対して、わかりやすい選択肢を見つけて、そこを間違えなければ思ったIFルートに合流出来るほど、人生は単純でも甘くもないという物語なのだと思います。

それは、貫之が橋場の元を離れていってしまった一度目のリメイクの終わりと、その末路を通じて橋場が受け取ったものの一つでもあるかもしれません。 自分が自分のまま、単に選択肢を変えたって望む未来には辿りつけない。 自分自身を「リメイク」して、周囲を巻き込んで、それではじめて「あったら良いな」の近づいていけるのだということを私は感じました。

だからこそ、この物語は「10年前に戻る」なんていう非日常を過ごしていない現実の私にも刺さってきました。 「大芸大に進んでおけば」「音大に進んでおけば」などという部分はきっと本質ではなくて、その時の自分が自分自身をどう「リメイク」出来るかでその十年後はいかようにも変わる。 拡大解釈が過ぎるのかもしれませんが、そんなメッセージを私は受け取ったように思えました。


今回は、ぼくたちのリメイクの本当に概略の部分について、自分なりの解釈を書いてみました。 まだまだこの作品について書けていないことは、もちろん沢山あります。 夏アニメでの放映なども通して、少しずつ書いていこうかなと思っています。

それではまた!