現実でラブコメ出来ないとだれが決めた? 3巻感想

こんにちは!「現実でラブコメ出来ないとだれが決めた? 」第3巻の感想を書いていきたいと思います。本感想はネタバレを含みますので、以下、本編未読の方は読まないことを推奨します。


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普通の会話を試みる二人

今まで“計画”の上でだけコミュニケーションしてきた長坂と上野原。プロローグ前半ではそんな二人がはじめてオフの会話をするわけですが、まあ全く弾まない。これをきっかけに、長坂は自分が提供出来る価値は計画だけだと結論づけるし、上野原も普通の自分なんて長坂は求めちゃいないんだと思ってしまう。結局、“計画”の一歩外に出た途端、お互いがお互いに価値を提供できない存在であると思ってしまったわけです。ここで長坂自身、上野原自身は、はたして楽しいと思っていたのか?ということは語られません。“計画”という枠の外において、二人が求めているものは何なんでしょうか。ありのままの普通を認め合うような関係があり得るのか、それとも“計画”の外に二人の関係はあり得ないのか。

説得イベント

現在の日野春を認める鍵、これからの未来を示す鍵、二つの鍵を持ってしても日野春を生徒会長に立候補させることには失敗してしまいます。

鍵さえあればドアが開くとだれが決めた?

これは勝手な見方の一つですが、鍵はたしかにドアを開錠していたのだと私は解釈しました。しかし、ドアを開錠してもそのドアを押して前に進まなければドアは開きません。その一歩を踏み出す勇気を、はじめの説得イベントでは与えられなかったのかなと思いました。そして、その失敗を持ってして長坂自身も同じ状況——立ち止まることが最善解ではないと分かりながら、それでも前に進めなくなっている状況——に陥ってしまいます。

次に、口を開いた時の言葉が。よくないもの、だったとしたら——。 (上野原)

そんな長坂をみた上野原が連想した「よくないもの」、それは“大馬鹿野郎”ではない——「最善解」を目指さず「最適解」に立ち止まる——ことを認めるような言葉なのだと思います。それは本来の上野原の姿とも重なるものかもしれません。

耕平の“共犯者”の、私は。耕平の“幼馴染”の、私は。どうするのが——一番、なんだろう。(上野原)

それでも、“共犯者”であり“幼馴染”の上野原として、“大馬鹿野郎”に何かを見出した自分として、上野原は長坂の背中に手を置くことを選びます。
この時の上野原の心情はまだまだ読み切れていない部分がありそうです。なぜ、この行動を“一番”と言ったのでしょうか。“共犯者”であり“幼馴染”でない上野原は、この時何を思ったのでしょうか。まあ難しいことは抜きにして、このシーンのカラー口絵あまりにも良かった...後ろからの構図と夕焼けのカットがズルい...。

第3の鍵

私だけ、一人だけ、おままごとみたいに遊んでたって、全然楽しくないんだよぉっ! (日野春)

「ひとりぼっち」ではないと、確かに信じさせてくれるような何かが日野春には必要でした。これは、上野原が長坂に与えたものと同じではないでしょうか。共犯者であり幼馴染から受け取った鍵を、今度は長坂から日野春に。このシーンの長坂、シリーズ1格好良くないですか。伊達に現実でラブコメ目指してない、圧倒的主人公力でした。日々ストーキング紛いを繰り返す変態とはとても思えない。

結末

全ての鍵を揃えて、長坂を巻き込んで、ようやく日野春は前に進みます。ここからの、一気に前が開けたような疾走感はとても爽快でしたね。なんといったって、第五章最後、日野春の「八重歯の見える笑顔」。こんなのもう天然記念物ものですよね...絶対保護しないといけませんよね。

なのにそれなのに...

ピンチ展開からの大団円、ラブだめはまあここで終わらんよなあとは思っていたものの、まさかここまでめった刺しされるとは、いやはや。
最後の最後。「当選がほぼ確定している」と思われた信任投票で全ては崩れ去ってしまいました。今回目立った動きをみせなかった清里は、どんな仕掛けをうっていたのでしょうか?あるいは仕掛けをうった結果であったなら、まだ救いがあるのかもしれません。

ただの日常会話

ひとつひとつはありふれた愚痴やちょっとした僻みかもしれません。しかし、名もない——ラブコメ適正のない——大量の人々によって増幅されたそれらの言葉は、空気は、ひとつの“ラブコメ“の芽を折るには十分すぎたのかもしれません。ここからは独り言のようなものですが————“ラブコメ”の一側面は「選別すること」なのかもしれません。ラブコメの主要登場人物は多くてせいぜい10人そこそこ。その他の生徒はその他大勢として見過ごされます。実際長坂は、“友達ノート“によって、あるいは“ラブコメ適正“によって、勝手にも生徒たちをふるいにかけています。フィクションでは、それが許されます。では現実でそんなことが許されるんでしょうか。誰かを中心とした“ラブコメ”のために「その他大勢」にされて、その破天荒な世界観に付き合わされる「普通の人」はそんなことを許すのでしょうか。現実でラブコメ出来ないと決めたのは、その他大勢の名前のない人達なのかもしれません————とかなんとか。何はともあれ、第1の鍵も第2の鍵もあっさりとへし折られてしまいました。唯一残った希望は第3の鍵——長坂であり上野原——でしょうか。

こんな、最悪(さいこう)な引きをされて、4巻までどんな精神でいれば良いんでしょうか...。そもそも、チラムネの5巻だって、弱キャラの9巻だって殺しにかかって来ているっていうのにこれ以上どうしろってねえ、ガガガ文庫さん。

以上、とりとめもない感想でした。

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